2016年

3月

07日

「5年目の記憶を埋もらせない」 3.11 震災遺構日帰りツアー ご報告

2月27日土曜日、鎌倉ガーディアンズの 被災地ツアーが無事に終わりました。

総勢55名です。(申し込みは100名以上ありました。)

ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。

 

今回、現地貸切バス代等は約15万円ほど掛かりました。

その費用は、鎌倉ガーディアンズが7年間の警備活動で

謝礼として頂いた「寸志」を市民の為にと思い使わせていただきました。

 

被災地ツアーは、震災の年に2回、そして節目の今回で全部合わせて3回目になります。

今回は、松尾市長、藤沢市議、元県庁局長、幼稚園園長など参加されました。

 

<出発>

天気晴朗。朝一番に横須賀線新橋駅の人身事故により大きく遅延、予定の

はやぶさに乗れなかった参加者が数名出てしまうというアクシデントがあった。

しかし、鎌倉ガーディアンズのメンバーが乗用車を手配して、遅れた数名を仙台駅で

運良くピックアップするという機転で、事なきを得、無事に行程に遅延のない状況で乗り切った。

新聞記者・テレビ取材班を入れて総勢55名。

全員で献花を用意し、慰霊の気持ちを持った。

 

<閖上慰霊碑>

午前10時15分に到着

仙台空港のある名取市のこの地区では、犠牲数(950名)が突出して多かった。

理由は、地震発生時に唯一の仙台方面への導線である閖上大橋が

交通事故により通行止めとなり、車で逃げる方の大勢が身動きできなくなり、結果的に津波で亡くなった。

併せて、高台にある公民館に既に避難していた住民が、消防団員の指示により

徒歩10分の中学校へ移動中、ちょうどその時に来た津波の被害で数百名が亡くなる。

 後日、その指示自体は間違っていない事が判明する。

不幸なタイミングで交通事故が発生し、閖上地区は袋小路となり、多数の犠牲者を生んだ。

現地資料館で10分ほどの映像を見るが、涙を流す方も大勢いた。

 

<南三陸防災庁舎>

午後1時に到着

南三陸町の元庁舎であった三階建ての防災庁舎が、現在、震災遺構として残っている。

 12メートル高さの庁舎を15メートル近い津波が襲った。

職員の遠藤未希さんが防災無線で62回も市民へ避難の呼びかけを、最後の最後まで続ける。

 「上へ上がって未希ちゃん、上へあがって」が最後の声で放送は途切れる。

遠藤様は二ヵ月後に、海中より遺体で発見される。

防災庁舎には、津波到達時に30名が避難したが、10名しか生存できなかった。

青空とのどかな海風景、かさ上げするするダンプカーの音しかない原風景では

地獄絵は全く想像できない。それだけに頭の中は混乱と悲しみで現実が判らなくなる。

 命がけの行動を、決して私たちは忘れてはならない。

 

<大川小学校>

午後2時半に到着

石巻市立大川小学校 遺族の佐藤和隆様が、このたび特別に語り部として当日の状況を

話して下さった。ここでは生徒74名、職員11名が亡くなる。生存者は5名のみ。

当時、卒業式を控えた小学校6年生の佐藤様のお子様も犠牲になられた。

50分間も校庭に児童を待機させて、高台ではなく河口方面へ移動中に津波の被害。

折りしも校長は休暇。指示系統やマニュアルが不明であった様子。教職員の判断が問われている。

学校には裏山があり、充分に避難経路は存在した。現在、遺族と行政が裁判中である。

誤った行動により、死なずにすむはずだった多くの幼い命を失ってしまった。

子ども達の恐怖と心細さと無念は計り知れない。

佐藤様の「一番安全と思っていた学校で、子ども達の命が大勢奪われた事が無念でならない」との言葉が心に響いた。

近隣の学校では、高台に避難しており犠牲者はいなかったらしい。なぜ?大川小学校だけが・・・・。

遺族の方は、深い悲しみや後悔ではなく、今は裁判と言う権力と戦わなければならない。

 その矛盾とやりきれなさに、一同が言葉を失う。余りにも残酷な気がする。

佐藤様は、このような大きな災禍にもかかわらず、真っ直ぐと前向きに語った頂き、

むしろ私達が勇気づけられたかもしれない。ありがとうございました。

 

<最後に>

被災地の現状を真実を、鎌倉に帰ってからも伝えて行きたいと思う。

決して忘れてはいけない。そして、決して他人事ではない。

一つの判断、あるアクシデントが生死を分けたと思う。

「生死は紙一重」

行政や為政者はその自覚を持って欲しい。

そして、日々感謝の気持ちで、私たちは毎日を一生懸命に生きていけねばならない。

犠牲なられた方の無念をはらす意味でも。

この日を、参加者は、終生決して忘れないと思う。

くしくも、今朝、横須賀線での人身事故で遅延したが、

無念の内に苦しみながら命を落とした方もいれば、

自ら命を捨てる方もいるという事実は、

この世のやりきれなさも感じた。

是非、行政も、市民団体も、被災地のイベント収益金や募金中心の支援活動だけではなく、

現地に赴き、被災地の声を聞きながら、様々な問題を共有し続ける事も大切であると思った。

                            (代表 大津定博)

 

 

 

南三陸防災庁舎にて

 

むき出しの鉄骨が津波の猛威を物語る。

後方にはかさ上げのための盛り土。

多くの幼い命が犠牲となった大川小学校にて。

語り部は保護者の佐藤和隆様。

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コメント: 1
  • #1

    応援団 (金曜日, 08 4月 2016 07:35)

    素晴らしいです。ご活躍を祈念します。

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